コラム

音楽は百薬の長に?

「​音を楽しむ」と綴り、音楽という言葉が生まれますが、漢字遊びをしていましたら、ふと或る事に気が付きました。
音‘楽’の字に、たったひとつ、くさかんむりを加えると、「音薬」になるのです。
音楽は音薬として、まさに人の心に働きかける、古代からある神聖なお薬の様なものですね。
しかも、無害で、副作用の心配も無いのですから、万人向けで、100パーセント安心出来るものと言って良いでしょう。

最近は、通常の音楽ホール以外にも、病院のコンサートで演奏をさせて頂く機会が増え、大変嬉しく思っておりますが、やはりそうした特別な場所では、より深い次元で聴衆の方々の心に訴えかける、真に心に浸透する様な音を奏でたいと願います。
病んでいる人や、そのご家族の方々のスピリチュアルに作用する、厚かましいですが、それこそほんのささやかなお薬とでもなる事が出来たら・・・ という思いで、当日はピアノに向かっているのです。

例えば入院をしますと、毎日朝から想像以上に多くの人達に接するのですが、主治医の先生を始め、担当の看護師さん、ヘルパーさんやお部屋の清掃をして下さる方々、また入院している他の患者さん等が、何時とは確定しない時間に来られる事が多いのですね。
患者さんご自身が、本当の意味でひとり静かになれる時間が、意外と少ないものです。
夜中はまた(本当に寝ているかどうか?!)見回りに来られる事が当然ですから、一日が自分のペースでゆったりと進むという事は、まず無いのではないのでしょうか。

音楽を用いて何かを施そうという考えは、それぞれ個人の音に対する感性の違いから、目的は全て同じにはならないという事が前提だとしても、音楽を通して、その時間の中で、何とか自分と対峙出来るひとときをご提供させて頂けたら、という願いが常にあります。
患者さんのご病気や、また置かれているご状況は勿論ひとりひとり異なりますが、ゆったりと音を聴き、奏者と時間を共有する中で、穏やかな一体感が生まれ、その空間の中で敢えて「本当の自分自身に戻る事が出来るのだ」という、真の安らぎの時間をお贈り出来る様なコンサートにしたい、と思い描いているのです。
これは理想というより、私自身の信念としてあります。

パリに留学していた当時、住まいの近くにあった馴染みのカフェでは、私が風邪を引き、咳込んで具合が悪そうにして行くと、顔見知りのギャルソンが、「今日はコーヒーじゃなくて、紅茶を飲まなくちゃなりませんね!」 と言って、こちらが未だ注文をしないうちに、ほんの少しウィスキーを落とした紅茶を差し出してくれました。
イギリス以外のヨーロッパ諸国では、紅茶は病気の時に飲むものとされ、日本で言うと恐らく卵酒か何かにあたるのでしょうか・・・ (ロンドンに住んでいた時には、やはりどこへ行っても、ミルクとお砂糖たっぷりの紅茶が出されたのですが!) 本当に身体の芯から温まる美味しい紅茶で、何よりこちらの健康の事を心配してくれたギャルソンの心が温かく嬉しかった事を覚えています。
例え風邪ぐらいの事でも、留学して病気の時には、なおさら異国の地に独りでいる事を強く感じて、淋しく心細いのですね。

病院という空間においても、幾らか「異国」に通じるものがあるのではないでしょうか。
場所は日本であり、それぞれが日本人であって顔見知りでも、何故か心細く、まるでお互いが異邦人の様に思う事さえあり得る・・・ 様々な意味で、「非日常」の特別な場所なのだと感じています。

未熟な技術ではありますが、私自身の演奏も、このギャルソンが贈ってくれた温かい紅茶の様に・・・
心が安らかになり満たされる、人の精神への潤いとして存在し、本来の自分に帰る事が出来る、ささやかなひとときをご提供させて頂けたらと願っております。

2012.12.29 23:30

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