コラム

人はどの様に意思決定を行っているのか

近年、関心を持っている分野に、行動経済学があります。
一言で簡潔に説明するのは大変難しいですが、合理的に行動する人について研究したものを経済学とすれば、行動経済学は感性に従って非合理的に行動する人の研究と言う事ができます。つまり、人は自分の利益を最優先し、その利益を確実に得るために行動を取るとされてきたのですが、それに対して必ずしもそうではないという分析を行ってきたのが行動経済学です。

行動経済学の中の理論でもよく知られているものが、2017年のノーベル経済学賞を受賞した、アメリカのリチャード・セイラ―教授の「ナッジ(nudge)理論」ではないでしょうか。
このナッジは、「肘でちょっと突く」、或いは「そっと押して動かす」という意味になりますが、人が望ましい行動を取るために、他者が後押しする様な、そう言ったアプローチを指しています。インセンティブや罰と言った手段を用いずに、人が意思決定する際の環境を作る(提供する)事で、自発的な行動変容を導くのです。

実際にこの理論は、私達の大変身近な所に使われています。
例えば、公共のお手洗いでは、次の様なメッセージが書かれた張り紙を目にする事が多くなりました。

「いつもきれいに使って頂いて有難うございます」

これを読むと、人は無意識のうちに、皆が使うものだから、汚す様な使い方をしてはならない、という気持ちになり、即ちきれいに使わない事で罪悪感さえも抱かせる、という解釈に(必然的に)なります。まさしく、望ましい(この場合はメッセージの発信者にとって、より望ましいと言えるかもしれません)行動へと促されるのです。

或いは、コロナ禍で、スーパーマーケット等のレジの前に列を作って並ぶ際に、目に入るのは、床に一定のディスタンスを取って描かれた足跡の絵です。それを見ると、誰しもがスペースを空けて並ばなければならないという事を強く認識しますが、ノンバーバルでありながら、非常にインパクトを持つメッセージのひとつです。
これらは、まさしくナッジ理論を用いた手法であり、上記の2つの例以外にも、このナッジ理論は私達の暮しの中で至る所で用いられており、容易に見つける事ができます。

さて、この行動経済学を医療の現場にフォーカスさせたものが、医療行動経済学です。
これまでに様々な研究がなされ、興味深い論文や著書が数多くあります。
それらの文献を読み直している所ですが、ステイ・ホームではその時間を存分に楽しむ事ができます。
新型コロナをはじめ、あらゆるワクチン接種に同意するのか否か、また各種の検診を受けたいと希望するのか、その様なものは不要と考えるのか。或いは、医療機関で「あなたの病気は~です」と診断された直後から、治療が開始されるにあたり、患者には意思決定が求められ、種々の選択を余儀なくされますが、どの様に決めて、自身で納得する事ができるのか。
それらの場合、必ずしも自らに利益が得られる方法を選択するという事にはならないのだそうです。合理的な意思決定から系統的に逸脱する傾向、つまりバイアス(偏り)が存在すると想定されています。それらについて研究するのが医療行動経済学です。

では、そのバイアスとはいかなるものでしょうか。
紙幅の都合で、全てを挙げる事はできませんが、わかりやすく「リスク回避」のバイアスについて取り上げてみましょう。
「平均的な利益は大きいけれど、同時に利益がゼロになるリスクも伴う」選択肢より、「平均的な利益は小さいけれど、安全確実である」という選択肢を好んで、その様な行動を取る人は少なくありません。
これを医療・健康行動にあてはめてみますと、例えば、病気を発症する以前に、喫煙や深酒、過食と言った習慣が、健康を害する確率を高める事については、概ね全ての人が理解していますから、リスク回避型の人は、「平均的な満足度は低いが、健康を害する可能性も低い=タバコもお酒も嗜まず、食事はいつも腹八分を心掛ける」方を選択する傾向が強いと言えます。
しかしながら、実際には「平均的な満足度は高いが、健康を害する可能性も高い=タバコは止めず、お酒もたくさん飲む、そして好きなだけ食べる」方を望む、つまり「(リスクとわかっていながらその)リスクを避けない」人の方が多い様に見受けられるのは事実です。

例え些末な事柄に対して、意思決定をするにしても、人は理論に基づいて(無意識のうちに)選択を行っているとわかれば、興味は尽きず、益々惹きつけられてゆく「行動経済学」です。

*参考文献
「医療現場の行動経済学」 大竹文雄/平井啓 編著 (東洋経済新報社)

2021.04.23 23:25

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