コラム

「心に寄り添う音」について考える事

コンサートに来場された方から、終演後に涙され、「今日はピアノの音を聴いていて、とても心が癒されました」、というお言葉を頂戴する事があります。私自身にとっては、演奏が自己完結に終わる事なく、音楽を通して人の心に何か少しでも届けられる様な行為を、拙い演奏にも関わらず実現出来るのは、何にも代え難い喜びのひとつです。

他人を励ましたり、勇気づけたりする際には、人間ですから、まずは「言葉」という手段で、と考え、何かメッセージを発しようとしますが、とかく相手には、「こちらはその様には考えていないのだけれど・・・」という思いを抱かれる事がしばしばあります。
それは、恐らくその投げ掛けられた言葉が、何かしら見返りを求めていて、相手の心に侵入してきた、言わば土足で家に上がられた様な厚かましい感じがするのからかもしれません。
その様な時、言葉はかえって、有効であるどころかお節介で、邪魔をする、ほとんど役に立たないものとなりうる可能性があります。

今年の三月に、11歳で天国へ旅立った我が家の愛犬、ラブラドール・レトリーヴァーは、日ごろは甘えん坊のわがまま放題で、皆からお姫様の様に可愛がられていましたが、内に辛い思いを抱えた時の家族の心を、瞬時にして読み取る事の出来た、大変親ばかですが、利口な犬でした。
黄金色の自らの体を寄り添わせて、じっと黙ってこちらを見つめているだけでしたが、それは到底、人間には持ち得ない、言葉の発せない動物だけが与える事の出来る、大きな癒しの力でした。

アニマル・セラピーや、香りを追求したアロマ・テラピー、また自ら花を生けるフラワー・セラピーの素晴らしい所は、そこには相手を説き伏せる様な「言葉」の必要性が存在しない事です。
触れたり、香りを楽しんだり、美しい物を見る事によって・・・ 感覚が何かしら満たされる事で、人の心は穏やかになります。
それらの抱く感覚というものは、心に入り込んで浸透するのですが、言葉の様にずかずかと侵入してくる事は決してありません。

それは、音楽においても然りですが、少しだけ異なる理由がある様に思われます。
何の前ぶれもなく、いきなり飛び込んでくる様な図々しいという類の演奏もあれば、晩年の巨匠が生み出すかの如く、静謐でありながら訴え掛けるものが存在し、それでいて心に染み入る崇高な音楽的表現に、聴いていて思わず涙がこぼれるという様な演奏もあり、何を能動的にどう感じるかが、ひとりひとりによって変わってくる故です。

「癒されるという事は、何か」と考えると、「静かに自分自身と向き合えた時に抱く、波ひとつ無い海の如き、穏やかなカタルシス的感情」だという事を、私はいつも想像します。
「心にそっと寄り添える音」を描き続けながら、日々研鑽を積み、より一層穏やかで、真に人の心に響く演奏が出来る日が訪れる事を願っております。

2012.08.19 23:35

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