コラム

音は果たして見えるのか

楽器のレッスンで聞かれる、「もっと音色をよく考えて弾きなさい」、という教えは、先生方の最たる助言の言葉のひとつではないでしょうか。
まだ小学生の頃、こう注意なさられて、きっと大人になったら、私も音の色が見える様になるのだろうか・・・ と不思議な想像をしながら、一生懸命、ピアノの前で試行錯誤しておりました。

その後、音色というものが一体何を意味するのか、真に知識を得て、理解したのは、パリに渡ってフランスの奏法について知り、学んで暫く経った時でした。

“共感覚”という言葉をご存じでしょうか。
音を聴いて、即座に色が見えるという、視聴覚の特別な能力を持った人が、少なからずこの世に存在するのだそうです。
作曲家のスクリャービンや、ピアニストのエレーヌ・グリモー氏然り。
彼らの所有する、その天賦の才能について、著書で拝見しました。

例えば、絶対音感の持ち主が、街を歩いていて、周囲の全ての騒音がドレミ・・・ の音名として聴こえてしまい、非常に煩わしい思いをするという事についてはよく聞きますし、私も音楽家の端くれとして、それは(時に耐え難い)日常茶飯事です。
しかしながら、音を聴いて、色が浮かんでくるという事は、これに比較して、何と神秘的でしょうか。
神様から、一部の限られた人にしか与えられない、まさに“ギフテッド”という英語が示している如く、大層素晴らしい才能ではあるまいかと、その力を羨ましくさえ感じるのです。

音色を考えて弾く・・・
少し掘り下げてみますと、ピアノという楽器でしたら、音を出す際に、色を(勿論、頭の中の想像ではありますが)、鍵盤上になされる指先の繊細なタッチによって、どの様に作るかという作業になります。
最も重要な点は、実際に音を奏でる前に、より明確なイメージが出来ているか否か、という事です。

太陽の輝きの様に明るい色が求められているのか、はたまた嵐の時の空の様な暗い色が欲しいのか。
純度が高く透明感があって澄み切った、所謂パステルカラーを必要としているのか、否、苦悩や葛藤と言った心の闇を表現した暗黒の色が、その音楽では求められているのか。

最終的には、作曲家が何を表現したかったのかを追究してゆけば、自ずと“色”は決まるのですね。
各々の作品に相応しい色を、演奏者は考えて作ってゆかねばなりません。

フランスのピアノの先生は、よく「音のパレットをもっと豊かにする様に」、という表現をなさいます。
つまり、まずは自分自身がイメージ出来る色の種類を多くして、その中から選択できなければ、大変ヴァラエティーに乏しいものとなり、単調な音の連続となってしまう事は明らかだという訳です。
また彼らは、音のテクスチュア(質感)にも、大変こだわるべきだという助言を与えます。

よく、絵筆の“タッチ”や“リズム”、と言われる事がある様に、やはり美術と音楽は、限りなく近い位置に存在するのだと感じます。
単純な強弱があるばかりで、より芸術的なレヴェルまでに到達しなければ、音もただの羅列に過ぎません。

名画を鑑賞すると、色について知る大きなヒントが得られます。
例え同じ画家でも、よく見ると、描かれた色には、一色たりとも同じ色は存在しないのですね。
ピカソの鮮やかな青や赤からは、生への喜びと、また哀しみさえも動的に、躍動感を持った音として聴こえてくる様に、私には感じられるのです。

まさに人が歩む道のりの様に、一層、色のテクスチュアやグラデーション(濃淡)を表現したいと願いながら、心からの音を追究してゆくべく、小さきながらも前進をしてまいりたいと考えております。




2014.08.24 21:20

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