コラム

偉大なる作曲家との対峙(2)ヨハネス・ブラームス

愛読している大江健三郎氏の古い著書に「恢復する家族」という作品がある。
氏の選ばれた言葉にはいつも非常なる力を感じるが、その中でも特に印象的な一節があり、私は忘れられない。
「人は夫々に痛みを受容して生きてゆく」 というものである。
氏は、光さんという類稀なる音楽の才能を持つ、非凡でありながら、しかしそれと同時にハンディキャップを抱えた愛息と共に暮らしを営まれる中で、数多くの哲学的思想の上で、想像を絶する苦悩を乗り越え、様々な事を悟られたに違いない。
氏の込められたメッセージには、いつも深い共感を感じている。

ブラームスという作曲家も、また多くの痛みを感じながら、創作活動を行ったひとりであろう。
彼の性格は大変内気で、決して内心を他人には見せる事は無かったという。
クララの事を始終気に掛け、「君」と呼ぶ仲にあろうとも、夫のロベルト・シューマンが天国から彼らを見守る中で、ブラームスは出過ぎた事をしようとは一切しなかった。
しかしながら、作品の中で、我々にはそっと秘めた思いを打ち明けてくれる様な気がする。

既述のシューマンが分裂した自我に埋没して、自己を見失ってゆくのとは対照的に、少しだけ客観的に距離を置いて自分を見つめている様な趣が、ブラームスにはある。
様々な痛みを受容して、それを慈しむかの如く、晩年のピアノ小品集では、寂寥感よりもむしろ、悟りの境地で至ったもの-恐らく或る種の慈愛の様なもの-が、まるで日記の様にシンプルに、ごく自然に綴られている。

これ迄に、室内楽や歌曲を含めて、ピアノ独奏曲も併せると、最も勉強した作品の数が多い作曲家の一人であり、それだけに愛着も深い。
「自分の運命を優しく受け入れる」という事。
いつもブラームスを弾いていて感じ、教わる事だ。

例えば、ブラームスがあと20年早く生まれ、クララと出逢っていたら、一体彼の運命はどうなっていただろう・・・。
人生とは、この様な事の連続である。
時間という枠の中で、物事の「タイミング」がその人の生き方を支配する。
そして、我々はその運命を変える事は、決して出来ないのである。

セピア色の写真を愛でながら、過去を懐かしむ様に・・・
その様な表現が相応しい音を出せる迄は、そっと自分の為だけに、静かにブラームスを演奏していたいと思う。



2012.03.08 23:10

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