コラム

春の訪れは「ド・ミ・ソ」から

朝晩はまだ寒さを感じるものの、ウグイスの美しい鳴き声が聞かれる様になると、私達は少しずつ春が近づきつつある事を知ります。
コロナ禍にあり、皆が集(つど)って春夏秋冬を象徴する催しが行われない状況下では、季節を楽しむ事もままならず、それらの移り変わりを認識できない事に戸惑いを覚えますが、だからこそこうした自然が届けてくれる「季節感」は、いつもに増して価値が与えられるのではないかと思います。

或る日、自宅のそばの樹で鳴いている一羽のウグイスの鳴き声に耳が止まりました。
意識を集中して、ずっと聞き続けてみますと、ある事に気が付いたのです。

「ホーホケキョ・・・ キョキョキョ、キョキョキョ、キョキョキョ」

規則的に「キョキョキョ」を3回繰り返すのですが、そしてそれらは、常に「ド(キョ)・ミ(キョ)・ソ(キョ)」という決まった音で奏でられているのです。
つまり、ハ長調の主和音を分散した音と同じ高さで鳴いているという事になります。
私は、この鳥を「ド・ミ・ソのウグイス」と名付けて、以後数日間訪れ、長い時は1時間近くも泣き続ける、
その軽やかな声を楽しんでいました。

とりわけ、朝に「ド・ミ・ソ」の鳴き声を耳にすると、まるでJ.S.バッハの平均律第Ⅰ巻のプレリュードを聴く様な、清々しい気持ちになります。音楽理論では、ハ長調はまさに基本であり、スタートを表す象徴的な存在ですから、これから何かが始まる様な、そう言った予感のする、春をほのめかすに相応しい音と言えましょう。
これは、全てのオスのウグイスが持つ性質なのでしょうか。残念ながら、詳しい事はわかりません。
しかし、当のウグイスは、メス鳥への求愛のために一生懸命鳴いているのですから、私の様な人間に関心を持たれても、ちっとも嬉しくはないのかもしれません。
この様な時に、もし偉大な作曲家のメシアンが生きていたら、「この日本のウグイスは “ド・ミ・ソ” ばかりで歌っていますが、時には 彼らも “ソ・シ・レ” で歌ってみたいと思う事はないのでしょうか?」と、幼い子供の様に、純粋な心で尋ねてみたかったですね。



2021.03.18 23:45

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