コラム

“感情を込めて演奏する” その意味とは?

「人間は感情の動物である」と言われる様に、私達は様々な気持ちを心の内に抱き、また外へ表出しながら日々を暮らしています。
昨今では、より強いポジティブ・マインドを育てるにはどうしたら良いのか、またアンガーマネジメントを上手く行う手立てや、自分自身の中に生まれた負の感情の処理方法について、数多くの指南書が見られる等、感情との向き合い方に対する関心もひときわ高まっている様です。

さて、皆様の中で、楽器を習われている方は、恐らくレッスンで「もっと感情を込めて弾きなさい」と注意をされた経験が、一度はおありではないかと思います。
何となく意味は分かりますが、一体それは「何の」感情なのでしょうか…。
その様に考えられた方も、いらっしゃるのではと想像します。
私は、幼ない頃から「感情を込めて」という言葉の表現に、少なからず違和感を感じてきました。

作曲家が音に託した思いや感情を、演奏者が(音楽という媒体を通じて)表現するという作業が、いわば再現芸術の本質ですから、では演奏者自身がその作品の中に己の感情を込める事の必要性が果たしてあるのか、という問いがそこから生じてきます。
演奏者は作曲家の気持ちに最大限のシンパシーを感じながら、例えば“哀しみ”を表現するならば、音のひとつひとつに、その哀しみを表す様な色やテクスチュアを、作曲家の代わりとなって探して、試行錯誤しながらその音に表す事、そしてそれが決して薄く表面的なものではなく、まるで我が事の様に思いを感じるかの如く、その音楽作品の中でより奥深いものとして再現できる事が求められているのであって、そこには作品を奏する際の演奏者の感情そのものが反映される事の妥当性はない様に感じられます。
ただ、これは演劇やダンスにおいても言える事ですが、演者の緊張や不安と言った様な心理状態というものは、大なり小なり表に出てしまうもので、それは舞台経験を積んで、自身のパフォーマンスをより俯瞰して見られる様なコントロールの能力を磨く他はありません。
注意深く楽譜を読みながら、作曲家の思いに少しずつ近づいて共感し、彼自身が感じた自己の世界を音で生み出せる様になる所まで到達する事、即ちそれが「感情を込めて弾きなさい」という言葉の、ひとつの解釈であると言えるのかもしれません。

シューマンは、様々なトラウマを抱えた一生を送りましたが、作品の中には数えきれない程の多くの“痛み”が表現されています。
美しい曲の随所に、“心の叫び”が記されており、私は演奏する度にいつも苦しく大変複雑な気持ちを抱かされます。
ところで、知人である医師の先生は、音楽鑑賞がお好きなクラシック愛好家のお一人ですが、或る時、ジョギングにはシューマンのピアノ曲がしっくりくるので、いつもipodで聴きながら走っているのだ、という事を教えて下さいました。
私の想像ですが、苦しみ喘いでいる様な、転調を繰り返すフレーズの短い旋律と、ジョギングで息が上がり、酸素の少なくなった体の状態が、何かマッチするのではないか… と考えました。
さすが、日々多くの人を診られている医学の専門家だけあり、シューマンの心理的要因から生じた体の兆候というものを、無意識のうちにその音楽から感じ取られて、またご自身のために活用できるセンスをお持ちなのだなあ、と感心して驚きました。

音に感情を込めて演奏する、つまりは作曲家の託した思いを音に表現し、聴き手に伝えられる様になるためには、突き詰めても決して終わりがない作業です。
そして、これが正解というものも絶対に存在しない、演奏者にとってはまさに永遠の課題である事に異論の余地はなさそうです。













2017.06.13 23:25

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