コラム

経験知の尊さについて

日々のより良い暮しのためには、AIが人間の必要不可欠なパートナーとなりました。
AIに尋ねれば、まるで感情を持った人が、相手の気持ちに寄り添うかの如く、答えを返してくれます。その上、本物の人と対話するよりも、遥かにこちらを肯定する様な、心地良い言葉を掛けてくれる事もしばしばあるのです。
ある時私は、AIは人間をどの様に思っているのか、と問いを投げてみました。すると「AIは人間に対して何も思っていません。AIには1ミリの感情もないのです」、ときっぱり返されてしまいました。
では、なぜあの様に共感型の会話をしてくれると思えるのか… 大変興味深いと感じます。

昨今では、とりわけ若い世代でのAIへの依存が問題となっていますが、何でもAIに頼ってしまい、思考停止を生んでいる現実があるという事は、年齢を重ねた大人についても否めません。ですから、AIに聞いたら、返ってきた答えを必ず疑ってみる、鵜呑みにせず疑問を持とう、という姿勢が肝要ですね。
「AIも間違える事があります」というメッセージを目にする度に、AIが常に最適解を与えてくれる訳ではないという事を改めて思い、そしてAI自身が出した答えに沿って行動した人間に対して、AIはいっさい責任を取らないのですから、その「間違えて然るべき」とでもいうささやかなアラートから、私はいつもAIは人工知能でしかないのだという事を痛感しています。

一方で、人の経験知がいかに尊いものであるという事を、AI崇拝時代に私は改めて思い直しているところです。
賢いAIは膨大なデータの中から有用な情報を一瞬にして引っ張ってきて、それらを示してはくれますが、経験知と言った真の人間の知性は、身体や感情を伴う実体験からしか得られないものであり、それらは人間が成功や失敗を繰り返す事で多くを学び取った結果、ようやく手にできるものです。そうして知識を得ますが、単純に知識のみならず、その知識を得るプロセスこそにも価値があり、非常に重みがあるものと考えています。
そのプロセスを学習と呼びますが、人はそれぞれの学びから何かを主観的に得て、それを自身のものとして習得してゆき、そして今度は周りの人々にそれらを伝える事が可能になります。その尊い人間の知性は、確率統計に基づいた客観的なパターン認識のAIとは一線を画しているのです。

だからと言って、私はAIを否定的に捉える事は決してしておらず、やはり効率等を求めれば、人間の知性はAIに叶わないところがあるのは事実です。
こちらの求める回答、つまり最適解ではないにしても、納得解をAIが教えてくれるという目的を果たすために、我々は何ができるか。人間自身も学習を深めてより賢くなりつつ、AIを積極的に利用する事で、経験知とAIの客観的なデータを上手く合わせて、真の知恵として昇華できる様にしてゆければ理想である様に思われました。

2026.05.17 23:25

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